映画「橋」と兵士の「要領」

少年のころ、ドイツ映画「橋」を観た。調べると制作は1959年なので私が中学生(1960年に中学1年)の時に観たのだろう。戦争末期、押し寄せる米軍に対しドイツ軍はある小さな町の橋を即席編成の少年兵(中学か高校に在学中の生徒。15歳前後?)に守備させて本隊は撤退する。(今考えると、本隊が撤退して後を少年たちに任せるというのも酷い話だが)

少年兵の指揮を任された下士官に本隊の将校が出発間際に尋ねる。「君は軍隊で何を学んだか?」すると下士官は暫し考えて「要領です」と答える。それを聞いて将校は頷く、というシーンが今も鮮明に残っている。中学生が「要領」という大人の知恵に感銘したのも変だが、なぜか私の頭に焼き付いた。もしかしたら私の一生に何らかの影響を与えたかとも思う。

将校が「軍で何を学んだか?」と尋ねたのは「子供たちをお前に任せるが分かってるな?」ということであり、下士官が「要領です」と答えたのは、「子供たちを死なせるつもりはありません」という意味なのだ。厳密を重んじるドイツ国民の兵士が曖昧が好きな日本人のような会話を交わしたことに少年の私は反応したのだろう。

だが、深夜、街を見回りにきた親衛隊に下士官は逃亡兵と間違われ、射殺されてしまう。ここから少年たちの運命が一気に暗転する。指揮官を失い、「要領」を知らない少年たちは愚直に米軍に立ち向かう羽目になる。

橋を攻略に来た米軍の小隊は守備兵が少年たちであることを知り、小隊長が丸腰で投降を呼びかけに近づくと銃撃してしまうのだ、しかも腹部を撃たれたアメリカ兵は断末魔の苦しみにのた打ち回る。こうして悲劇は始まり、少年たちは全滅するという映画だった。

人に生き死にを強要する軍隊。そこではちょっとした知恵が生死を分けることがあったろう。私の仲間の父親の場合、南方に行くことになった部隊で「長男か?」と問われて「そうです」と答えたところ、残留する部隊に転属され、おかげで終戦を本土で迎えられたという。これも要領の一つだろう。だが総じて「要領」という知恵は、日本軍にはあまりなかったように思える。要領のいい兵隊という概念はあり、古参兵に取り入る、などの使われ方をする事はあったけれど、間違った命令を現場の知恵で回避するような事は多くなかったと思う。ノモンハンではソ連軍に包囲されて全滅の危機に至った部隊を無断撤退させた指揮官を、参謀の辻政信は拳銃自決に追い込んだ。辻政信は戦争の天才だと、私の亡父は信じていた。海軍では艦隊決戦で「遠くから撃ち合った」提督が何人もいた(『海軍反省会(1)』)。海軍では見敵必戦、肉迫攻撃、がモットーだった筈で、「遠くから撃ち合う」は怯懦であり、要領ではない。

「要領」というと、旧日本軍のように要領のいい奴、と使われることが多く、この言葉の響きはどうも旗色が悪い。中学生でこの言葉を知った私は、要領のいい奴だったとは思うが、それだけでは無かったような気もする。

ちなみに「モリカケ」や「桜を見る会」などtrivia(些細な事、つまらないこと)に国会の貴重な時間を費やし、中国によるウイグルや香港の弾圧、北朝鮮の核と拉致問題、韓国のレーダー照射や徴用工、憲法改正などを論じないどころか、辻元清美の関西生コン疑惑と森ゆうこ議員による人権侵害、共産党の憲法改正すべしという党是をいつの間にか勝手に変更したことなどには頬かむりをする野党群は、要領があまりにも良すぎるわけだが。( 2019年12月)

(追伸 調べたところYoutubeで映画の一部が見られるようです。主に戦闘シーンで、ここで取り上げた冒頭のシーンはないようです。)