重村智信(としみつ)氏。朝鮮専門家と称する人は多いが、この人の右に出る人はいない。分析が極めて正確で、表面上の事柄の背景を常に正確に読み取ることができる唯一の人。だから北朝鮮の問題で真実を知りたいときはこの人の分析を読むに限る。一番頼りになる。
例えば、ハノイの米朝会談が(北朝鮮にとっては)失敗に終わって、金正恩は茫然自失状態に陥った。当然、平壌は何らかの混乱状態になったろう。すると5月末になって韓国紙が「ナンバー2の金英哲と金正恩の妹与正が消息不明、高官処刑か?」と一斉に報道した。金正恩が叔父の張成沢を残忍に処刑した記憶は生々しいから、世界に緊張が走った。ところがその数日後に北朝鮮はこの二人が金正恩と一緒の動画を流し、噂を打ち消した。
このことについて、重村氏は(「朝鮮半島通信」月刊Hanada 8月号)、まず韓国紙の報道は北朝鮮情報機関による「あぶり出し」だという。これに対し数か月たってから二人に何事もなかったと明かせば、韓国情報機関に恥をかかせることができるのに、今回北朝鮮はすぐに消息不明と処刑説を打ち消す行動に出た。これを重村氏は、「平壌で何かが起こっている」と読む。
金英哲は米朝会談を担当した統一戦線部のトップである。ハノイ会談の失敗に加え、その直前に起こった駐スペイン大使館への「自由朝鮮」の襲撃と重要書類や暗号コードを奪われた事件の責任者である。(ちなみにこの大事件は金正恩に報告されておらず、彼はハノイのホテルのテレビで知った、という驚くべき話も重村氏の論評にある)
これに対し、統一戦線部と対立する国家保衛省および軍の偵察総局、保衛司令部が「米CIAのスパイ摘発」を始め、金英哲が姿を消すことになる。
金英哲がすぐに姿を現したのは重村氏によれば『北朝鮮指導部は、「平壌の中枢が混乱し不安定で指導者の求心力が低不している」一と海外に判断されるのを恐れたのではないか、さらに追い詰められた統一戦線部勢力が、「南につながるスパイがいる、摘発すべ‘きだ」と反撃に出た可能性もある。北朝鮮高官にはこの能力がないと生き残れない。過去三カ月以上の平壌内部の動きを見ると軍部や情報工作機関、委員長の側近を巻き込んだ勢力争いが展開されていると断言できる』としている。
このような統一戦線部と対立する国家保衛省や軍偵察総局などの権力闘争についての分析は、日本の新聞ではめったにお目にかかれない。
それどころか、
『六月二日、北朝鮮の「朝鮮アジア太平洋平和委員会」報道官が河野太郎外相の発言を非難、朝鮮中央通信が「安倍一味の面の皮は厚い」と報じた。これを受けて日本のメディアは、「日朝首脳会談呼びかけに反発」「安倍晋三首相非難」と報じたが、誤りだ。』と重村氏は言う。
『この委員会は最大工作機関「統一戦線部」の下部組織だ。工作機関の言動は日本を揺さぶるために行われる。この報道官が本当に存在しているのかも疑わしい。日本の報道を見た人は、北朝鮮が安倍首相の提案を拒否したかのように受け止めてしまう。もし報道するなら、「これは工作報道だ」と解説をつけるべきだ』というのが重村氏の分析である。
とにかく「安倍憎し」でケチをつけたがるワイドショーをはじめ、一般紙にしても、拉致被害者を安全に帰国させることを念頭に置いた安倍首相の「無条件での会談」表明にしろ、この北朝鮮内の権力闘争の分析にしろ、表層の出来事に惑わされされない地に足が着いた分析はできないものだろうか。(2019年6月)