電通はなぜYouTubeに目もくれず、代理店買収に走ったのか
1 あまり語られてこなかった問い
なぜ電通は、YouTubeを買わなかったのか。
この問いは、これまでほとんど正面から語られてこなかった。
結果論として退けられるか、あるいは「たられば」の議論として避けられてきた。
そもそも、この問い自体が
問題として意識されることが少なかったように思う。
私は、この問いを
内部にいた者として、長く抱え続けてきた。
それは先見性があったからではない。
当時の判断が下された空気の中に身を置いていた一人として、
どこか説明しきれない違和感が残り続けていたからである。
2 当時の電通は好調だった
1990年代以降、電通は決して不調な企業ではなかった。
2000年代に入っても、
社内の実感としては「順調に回っている会社」だった。
新聞、雑誌、テレビは依然として影響力を持ち、
広告ビジネスの前提が崩れているようには見えなかった。
危機の兆しが語られることはあっても、
それは遠景の話であり、
日々の経営判断を揺るがすものではなかった。
3 YouTubeは「買えなかった」のではない
2000年代初頭、
電通は約5,000億円規模の現金を保有していた。
同じ頃、GoogleはYouTubeを
約2,000億円で買収している。
資金的に見れば、
電通がYouTubeを買えなかった理由はない。
少なくとも
「買収という選択肢が存在しなかった」
とは言えない状況だった。
それでも電通は、
YouTubeに目を向けることなく、
海外の広告代理店を次々と買収していく道を選んだ。
4 代理店買収は誰の判断だったのか
ここで、はっきりさせておく必要がある。
代理店買収という選択は、
社員の総意ではない。
それは、当時の経営陣による経営判断である。
巨大な組織において、
戦略的買収を決めるのは経営の中枢であり、
現場や社員全体が
その意思決定に直接関与することはない。
この点を曖昧にすると、
「電通という組織全体が
同じ選択を望んでいた」
かのような誤解を生む。
それは正確ではない。
5 なぜ代理店買収は合理的に見えたのか
当時の視点に立てば、
代理店買収は極めて理解しやすい選択だった。
代理店を買うということは、
- 既存のビジネスモデルをそのまま拡張できる
- 手数料構造が明確である
- 数字として説明できる
- 投資回収の絵が描ける
という意味を持っていた。
代理店買収とは、
手数料ビジネスを拡大する判断だった。
一方、YouTubeのような存在は、
- 収益モデルが未成熟
- 媒体費も手数料も小さい
- 規制や社会的位置づけが不明確
- 広告会社がどう関与すべきかが見えない
経営としては、
扱いづらい対象だった。
見えている成長を選ぶ。
そうした判断が下されたのは、
ある意味で自然な流れだった。
ただしそれは、
先が見えている判断ではなかった。
6 電通が本当に扱っていたもの
電通は、かつて
「コミュニケーション・エクセレンス」を標榜していた。
もしこの言葉を本気で捉えるなら、
注目すべきだったのは
広告枠や手数料の大小ではなく、
コミュニケーションそのものの変化だったはずだ。
しかし実際に見ていたのは、
媒体と手数料の組み合わせだった。
7 YouTubeは何だったのか
YouTubeは、
単なる新しい広告媒体ではない。
個人が発信者になり、
視聴と参加の境界が曖昧になり、
時間と場所を超えて共有される。
それは、
まったく新しいコミュニケーション空間だった。
電通には、
その空間を「扱う」だけでなく、
所有するチャンスがあった。
8 人はどこで情報に触れるようになったか
人々は、
YouTubeで映像を見、
X(旧Twitter)で世論に触れ、
Google検索で答えを探す。
動画で言えば、
YouTubeがあり、
ニコニコ動画があり、
個人の発信はnoteのような場に集まっていく。
iPhoneやiPadは、
日常のほとんどを
これらのサービスと結びつけた。
9 オールドメディアの現在地
テレビ、新聞、雑誌は、
今も存在し、発信を続けている。
しかし、
多くの広告主にとって、
積極的に選ばれる媒体ではなくなった。
多くの人にとっても、
それらは
行動を決定づける情報源ではなくなっている。
それは役割の変化でもあるが、
同時に、
明確な衰退でもある。
10 制空権という比喩
戦前の日本は、
空を失った時点で、
戦局の主導権を失っていた。
B29による空襲は、
戦いというより、
避けようのない現象だった。
地上でどれほど兵を動かしても、
海上でどれほど艦隊を揃えても、
上空を押さえられた瞬間、
勝敗は構造的に決していた。
11 分岐点の記録として
代理店買収は、
経営として「分かる」判断だった。
しかしそれは、
未来の成長機会を取りに行く判断ではなかった。
電通は、
新しい広告媒体、
いや、新しいコミュニケーション空間を
所有するという分岐点を通り過ぎた。
この文章は、
誰かを責めるためのものではない。
一つの成功したシステムが、
どのように時代とすれ違ったのかを
静かに記録するための文章である。